廃鉱跡

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かつて国内最大の銅産出量を誇り「神風鉱山」の名前をほしいままにした
天間林村(現、七戸町)の上北鉱山
正式名は日本鉱業株式会社上北鉱業所。

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全盛期にはハモニカ長屋を中心に住宅700戸、
独身寮と学生寮6棟、会社で経営するスーパー3店、
無料の共同浴場9カ所、入院施設を備えた総合病院、劇場があり
人口5,000人の村を形成したが、1973年6月、30年余りで閉山した。


閉山後も鉱山の宿命、鉱毒問題は残った。
第二次大戦中にも鉱毒が坪川に流れ込み、下流域の田畑で被害が出ていた。

農事試験場の調査官が現場に派遣されたが、        
「お国の為の鉱山」との大儀でうやむやになった部分もあるという。

60年代以降、会社は金属鉱業等公害対策特別処置法に基づく保安対策として、
坑道の閉鎖や石灰中和の作業を継続、中和作業は今も続けられている。
 2000519日付デーリー東北新聞から一部借用。
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鉱毒に苦しんだ坪川上流