あの日

5年前のあの日、14時46分。
東京駅地下で震度6弱の激震に見舞われた。

いつものように安全確認が終わり、どの列車も何事もなかったように動き出すのを待った。

だが、暫くして終日運休のアナウンスと共に手書きの掲示が貼り出された。
駅ナカのシャッターは閉じられ改札はフリーに。
改札周辺の案内板はすべてTV映像が映し出された。
三陸の沿岸がタイヘンだ。

近くの居酒屋、看板の灯は落ちているが扉が開いた。
きょうの営業は終わったというのをお願いして腹ごしらえ。

JR社員の誘導で東京国際フォーラムで夜を明かし、早朝駅ホームに出ると既に大勢の人で溢れていた。
電車は隣の駅を出発した。との表示が見えるけど電車は一向に来ない。
待つこと2時間余り。
鉄道の運転再開情報は一切ない。

開業間もない新幹線をあきらめ、ようやくやって来た山の手線電車で浜松町へ。
ここでは東京モノレールが普通に動いていたが乗客は少ない。

空港に着きとりあえず順番待ちの申し込みをする。
売店では欲しいものがなにも売っていない。
航空会社が用意した弁当にありつけたが飲み物はない。
人の姿も少ないので、空路が再開すれば確実に戻れる。

途方もなく待つこと10時間弱。
飛ぶことがアナウンスされ17時ごろだったかと思う。・・・無事に戻ることができた。
あの日は疲れも眠気も寒ささえも感じなかった。



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一日無事に終わり新幹線の乗車を2便遅らせて浅草に来ました
浅草六区 浅草リトルシアター 捕鯨船 ご本人のご了解いただき撮影しました


新幹線を待って、あの日と同じ東京駅の地下待合室で過ごしました