東京駅の地下にいたとき、突然強い揺れに襲われた。
とっさに携帯電話で670Km先の勤務先にいる同僚を呼び出すも、まだ揺れはないという。
が、一瞬の後「地震だ!大きい!」と残し電話は切れた。
M9の巨大地震だとは思いもしなかった。
東京駅。
自家発装置が起動したのだろう。
停電はなかった。
線路の安全確認が終われば、順次運転が再開されるだろう。
誰もが落ち着いて行動した。
やがてただ事ではないことが伝わり始めた。
都内の交通機関は終日運休。
JRの窓口はすべて閉ざされ、店舗もすべて営業を止めた。
改札口などにある掲示板はTV放送に変わった。
防災センターからの放送が頻繁に流れる。
「早く帰らなければ!」
地上に出た。
レンタカー会社に行っても車がない。
ホテルはどこも受け入れてくれない。
腹ごしらえを、と閉店間際の居酒屋に入った。
客はいない。わずかだが食べ物と日本酒にありつけた。
朝になれば鉄道は普段どおりに運転するものと、
指定された避難場所、国際フォーラムに向かったのは12日2時を過ぎていた。
早朝、ホームで待つこと2時間半以上。
ようやく一番電車に乗ることができた。
モノレールに乗り継ぎ向かうは羽田空港。
無料で配られた380円の弁当を食べ、空席待ちの予約をした。
客は少ない。
ここでは惨状が放映されていない。
売店に新聞はなく、電池、食品、充電器などもなくなっていた。
三沢空港に着いたのは、12日16時過ぎだったか。
電気、水、ガソリン、食料、建物、鉄道、道路、死者、行方不明者・・・大変な日々が始まった。
復興への足取りは弱い。
福島第一原発の事故。
あの会社の会長はじめ役員は責任を感じて実行した人がいるのだろうか。
わからない。
東京駅地下通路。22時00分
東京駅中央乗換え口。22時09分
東京駅新幹線改札口でTVに見入る人。
画面は福島第一原発か。21時59分
臨時避難所。12日03時49分
夜明け。12日05時53分